何十年前かの小学校の文集
随分と、この場所を放置してしまった。
と、言っても自己満足のどちらかと言えば内向的な場所なのだからそれでもよいのだけれど。
このところだか、若干暖かくなり、日中庭に出るとアッと言う間に時間が過ぎてしまう。
単純作業を何時間でもやり続けられてしまうこの性格が災いするのである。
何故、それを開いたか、の経緯は省くけれど、小学校の卒業文集を開いた。
大人の目線で当時の同級生たちの文章を読むと胸が痛くなるものがあった。
ああ、この子はこんなにSOSを出していたんだ。。。とか。
その中で「一番嬉しかったこと」を書いていた同級生がいて彼は(男の子だ)クラスでも優等生だったと記憶しているのだけれど、、
その彼が「一番嬉しかったこと」に、「怪我をして頭から血が流れて救急車で病院に連れていかれたこと」と書いていた。
その理由が、帰り、父親がおんぶしてくれて「大丈夫か、家は近いぞ、もう一歩だ」といつもでは考えられないくらい優しかったから、と書いていた。
その彼は、中学時代に家出をした。
父親が厳しすぎたのが理由だったのだ。
なんだか、本当に本当に背中におんぶしてもらったことが彼は嬉しかったんだなぁっと今なら彼が父親に何を求めているのかわかる。
そんなこんなで、自分の文集の記事はなんてことはないつまらないものでがっかりだった。
差しさわりのない文章で、もっと何かあるだろ、と今のわたしは物足りない思いだったことも追記。
ということで、それでは、また。
おんぶ紐
今朝のこと。地下鉄まで夫を送るととてもいいものを見た。
赤ちゃんをおんぶ紐で背負った、おんぶ紐から想像するような昭和の匂いではなく平成ど真ん中なお洒落な若いお母さんがこれまたスリムなスーツにコートを格好良く着た若いお父さんの腕に手を絡ませたり手をつないだりしながら地下鉄の階段へと向かっている姿。
お父さんの方は小さなスーツケースを持っていたから出張なのか、それとも奥さんは出産で里帰り中で、、、とかいろいろと妄想した。
なんだかとっても素敵な若夫婦だったのだ。
車を降りる夫に「いいもの見た」と言ったら「赤ちゃん背負ってるから夫婦だよな。おんぶ紐ってのがいいな」と。
わたしもわたしを見た人様をちょっとでも幸せな気持ちにするオーラをまといたいものだ。
ということで、それでは、また。
図書館の端末
朝、掃除機をかけた後でコーヒーを飲んで図書館が開く時間だったので借りていた本を持って図書館へと行く。
なんとなくここではエレベータに乗るのが怖い。この小さなエレベータの中で地震が来たら、と考えてしまい、遠回りをして階段を上る。相変わらずエスカレーターは壊れたままなのか節電なのか止まったままなのでギシギシ言っているような錯覚にとらわれる階段を上がる。
もっと都合のいい場所に非常階段があるのに「職員以外立ち入り禁止」になっている。
使わせたらいいのに、と、いつも思う。
わたしは図書館で本の検索をするのが好きだ。
好きな作家の見落としてるお宝本があるかも、とか。それにすごい古い端末をたたくのが好き。
あのものすごい凸凹なキーボードに愛を感じる。
午後、寒いなぁと思いながら外を眺めていたら雪が融けかかったことにより金木犀の木の支柱が折れていることに気づいた。
前回の重い雪のせいだ。
あ~あ。と思いながら、まだその金木犀に近づくには雪が若干あるので本日は気づいただけとした。
そんなこんなで、それでは、また。
技まで至らず
自分勝手にまたブログ名を変えた。と言っても自分しかアクセスしてないんじゃないかってアクセスなので問題ないとは思うのだけど。
夕方の空がとても綺麗な季節だ。
今日は一日太陽が出たと思えば吹雪いていたりとコロコロとした一日。それでも今は西の空がちょっぴりオレンジ色に染まっている。
どうしたのだろうというほど、今日目にした番組では「うどん」ばかり取り上げていた。料理番組でも肉キムチ煮こみうどんだったし、気になるお店特集でも麺だった。
そんなこともあり、麺モードになったわたしは、簡単なこともあり本日の夕飯は具沢山の煮こみうどんに決定。
午前中に所用で出かけ、スターバックスでラテを飲んでいると、ちょうどコーヒーセミナーのようなものが開催されていた。会費も払わず、講師役の方の声が聞こえる席に座る。
収獲した知識はドリップの穴の数。
ひとつ穴とみっつ穴とではどちらが初心者用か。
-------
ひとつ穴の方らしい。
------
わたしが毎朝使ってるのはみっつ穴。
そうか・・・何か技が必要だったようだ。
と、詰めが甘いわたしは技を聴く前に退店。
そんなこんなで、それでは、また。
春の3歩手前
ほうぼうのブログなどを見ていると雪が融けた場所から顔を出したスノードロップに蕾がついたなどの記事。
わたしも秋にいくつかの場所に水仙などの球根を植えたのでここ数日で雪が融けたその場所を眺めてみたけど気配なし。実験的埋め込みだったから本当に芽が出るのかわたしの場合期待薄。
今日は、日差しだけは春みたいな1日。気の早い人はもう春爛漫な装い。だけどもちろん真冬の装いの人の方が多いけれど。それでもショップの洋服はもう春だ。そのせいか精神的に追いついていかずまったく購買意欲が湧かない。
それはそれでいいことだけれど。
焼売を珍しく作ろうなんて思ったが、そんな日に限って立ち寄ったスーパーマーケットでは焼売の皮が売り切れ。
既に籠に入れていたひき肉を戻して、なんとなく鶏肉を買う。どうしようか。胡麻をまぶして香ばしく焼くか。普通に照り焼きにしようか。チキンカツという手もあるけれど。
本日、図書館で借りていた「虹の岬の喫茶店」を読み終えた。
読む前にいくつかの批評から「読後には訪れる優しい気持ち」だとはわかっていた。
わたしの感想は一話完結のテレビドラマあるいは映画にしやすいだろうなということが頭に浮かびながら読んでいた。そしてそれはそれは素敵な景色を見せてくれる映像になるだろうということ。
「優しい」と「悲しい」はとても近い。
わたしはちょっぴり悲しかった。読み終えた時に。
そんなわけで、それではまた。
キャベツ
このところ野菜が高い。
それでも野菜は買わない訳にはいかないので何かと買うのだけれど、そういえば震災の時にはキャベツが一個1000円だったと言っていた人がいた。そしてそれを買ったのだとその人は言った。嬉しそうに。
あの時のあの心理はなんだったんだろう。
そんなわたしもある日、壊れたコンビニの店先で「練り辛子」が売っていたときには「とりあえず買っとくべきか」と思ってしまったあの頃を忘れない。辛子なんて買ってどうしようってもんだ。正常な判断がまだ残っていてよかった。
横道にそれたが
キャベツ。昨日は一個179円だった。
一個買えばいろいろと使えるのがキャベツ。わたしは、まずまるまる一個買った時には大体最初はロールキャベツを作るのだけれど。そんなこんなで細々とキャベツを利用する日が続くのだけど、毎回キャベツを手にしながら思い出すのが、親元を離れて独り暮らしを始めることになった大学1年の時のことだ。
その時に借りたアパートに母親がやってきていろいろと鍋やら食器やらを一緒に取りそろえた昭和のあの日。
一泊だけして帰って行った母親がその晩に作ってくれたのがキャベツの味噌汁だった。キャベツの味噌汁なら手でちぎればいいから・・・あなたでもできるでしょう。との理由。
どれだけ料理ができないと思われていた娘だったんだろう。
そんなこんなで今夜のキャベツは手でちぎって、ナムル風のサラダとなった。
そんなこんなで、それではまた。
図書館の本
潔癖症という言葉とは縁遠いわたしだけれど、それでも古本屋がメジヤーになった頃は躊躇した。
どこのだれが読んだかわからない本を手にすることに対する不安。
それが古本屋で本を買ううちに楽しみを見つけた。
途中に引かれたラインやら、途中に挟まれた本屋さんで配るものとは違う個人の趣味らしき栞。
時には飛行機の半券が栞代わりに挟まっていたことがあった。
そんなとき、以前の持ち主のことを一瞬でもあれやこれや想像する。以前の持ち主が読んでいた状況を想像する。
そして図書館の本。
図書館の本は、おそらく限りなく好みの近い人が同じ本を手にしているのだと思う。
この小説を読みたいと思う、なんらかのシンパシーを感じる人たち。
そういえば私が小学生だった頃はアナログの時代だから図書館の本には歴代に借りた人の名前が記されたカードが挟まれていた。
今思い出すとあれって趣味の似た人の集まりだ。
「あ、この本にもあの子の名前」と顔は知らないけど名前は知っているカード上で会う子の名前に感嘆したりした経験もある。
今は前に借りていた人の名前なんてわからないけれど、同じ本が似たような感性の人を次々流れていくのだなぁっと思いながら図書館に読みたい本を予約したりして・・・・
そんなこんなで、それではまた。